活動再開。

続けることが大事。

確かにそうだけども、途中で止めたくなったら止めてしまっても、いいと思う。

って事で、シンガーソングライターの活動を来年目処に再開させます。

まだ予告です。もしかして気が変わったら、ごめんなさい。

でも、先日観たCorneliusとBECKのライブが魂を大いに揺さぶってくれました。

活動再開、第一のご報告に、新曲をネットでアップします。

そして”青木健”名義も、変えようかなんて考えています。(名義のご提案、大歓迎)

とにかく色々と準備して参ります。

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木曜の朝。

昨日から、本を4冊併行に読み進めている。読みたい本が有り過ぎて、まじで寝てる場合じゃないくらい、と言いつつ何よりも睡眠が第一なので、しっかりと寝ている毎日。

J-POPの編曲の仕事も始まっていて、ダビングがそろそろある。それに少し被るくらい併行に、短編映画のサウンド制作に参加させて頂く。これがまたすごく楽しみなのだ。

J-POPと映画音楽は、求められるところが正反対くらいに違う。

邦楽で言えば、非劇場音楽と劇場音楽という違いという事になる、か。

その前に、選挙しっかり投票せねば。

秋雨が右に左に屋根を叩く音を聞きながら。

バンド畑×クラシック畑=?!?!?

例えば、クラシック畑で自分の音楽を培ってきた人と、ライブハウスとかバンド畑で音楽を培ってきた人。両者が、もう少しお互いに距離を縮めていけば色々とシーンが面白くなるのになぁ、なんて時たま思ったりする。

僕の周りには、基本バンド出身のミュージシャンが多いのだけど、最近はクラシック出身のそれこそ音大出身の知り合いもたくさんいる。中にはどんな音楽ジャンルにもめちゃくちゃ精通しているレジェンドもいらっしゃるにはいらっしゃるが、やはりどこかに偏っている人が多い印象だ。

能で有名な観阿弥は、自分の地盤でもある大和猿楽に、当時のそれとは対照的なジャンルであった近江猿楽の要素(幽玄風)を取り入れ、能という芸術を高めた。江戸時代の作曲家の生田検校は、三味線音楽である地歌に箏曲を組み合わせ生田流箏曲を産み出した。

というのは、最近自身が読んだ本の受け売り。

兎にも角にも、新しいジャンルを生むという事は、それだけ産みだす作品が豊かだという事になるだろう。作品を豊かに作れるというのは、どんなクリエーターにとっても魅力的な事に違いない。もし、1つのジャンルを極めたいと心から思っていたとしても、一見関係なさそうな近隣のジャンルをちょい知識として持っている事は、決して無駄ではないと思うのだ。

 

ライブとは、人を感じる場。

これまで、数え切れないくらい色々なライブコンサートを観てきた。

心に残る、感動したライブには、いずれにも共通点がある。それは、その時間、その空間におけるあらゆる場面で、”人間”を感じれたという事。

言うまでもなく、音楽的に最高水準のモノを持ち合わせていればいるだけ、広大かつ繊細な表現が可能であり、聴き手はそれを体験するチャンスを得ることが出来る。

しかし、どんなに素晴らしい作品が目の前に現れても、聴き手の受け入れ態勢が整っていなければ、せっかくのものが水の泡同然になってしまう。その聴き手の受け口を柔軟にさせることができる最大の要因が、人間性にあるのではないかと思っている。

音楽そのものに、その人間性が溢れる程に詰まっているのが理想なのかも知れないが、一方で、MCや演奏時のパフォーマンス、あるいはミス、そういったものに人間性が垣間見れても、僕はそれはそれでとても魅力的だと感じてしまう。

ライブは生き物。その生き物(空気)をどれだけ自分がコントロールするのか。

そこを無視しては、感動するライブの実現はきっと難しい。

結局、感動してなんぼの世界なのだ。

ちなみに僕が人生で初めて参加したライブコンサートは、元ビートルズのリンゴ・スター@日本武道館(1995年)。なにしろ本物だったので、それだけで感動した。

 

ポンチョに夜明けの風はらませて

poncho_poster

 

いよいよ、今月28日(土)公開の

映画『ポンチョに夜明けの風はらませて』(廣原暁監督)

染谷将太さんへのギター指導と

渡邊崇さんと共同で劇判制作をやらせて頂きました。

(フライヤーにも名前がっ!!!)

 

振り出しに戻ってもいいよってくらい、超楽しく制作に関わらせて頂きました。

うれしい。ありがたい。渡邊さん、ありがとう。

 

ぜひ劇場で、ニヤニヤしながら、「あの頃」思い出しながら、笑って、もしくは泣いて頂けたら。

 

 

落語の愉しみ方。

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先日、”花團治の宴”という寄席を観に行った。

主催は、上方落語家の桂 花團治(はなだんじ)。

初めての生落語。落語って、とりあえず”お笑い”だと思っていたんだけども、ちょっと違った。”人の不幸”や”死”すらも、笑い噺にしてしまう和製エンターテインメント。

人生、誰だって大なり小なり色々なことにぶち当たる。悩んだり苦しんだり。そういう負の蓄積が人生を豊かにしてくれる場合もあるが、一方で”疲れ”を生み出してしまうのも仕方のないことだ。そういったものに対して、落語には、なにか変に凝り固まったモノを上手に解してくれる、そんな力がある気がした。

聴いていて、「そんなの、大したことねえじゃねえか」と、ほくそ笑みながら肩叩かれたような感覚みたいな。

そして、噺家の演技や声のトーンの素晴らしさにも感銘を受けた。落語は、師匠の話し方をその場で完コピしながら学んでいくものらしい。継ぎ足していった秘伝のタレではないけど、要するに伝統の濃さのようなものが落語には滲み出ている気がする。そこがなんとも、好きだ。

落語、ハマりそう。

 

 

勝手に決めたリズム。

歌詞とは、音楽的なポテンシャルを持った詩のことだ。

僕はプロとして歌詞も書ける音楽家になりたい。

 

ところで、スピッツの「夕陽が笑う、君も笑う」という曲にこんな歌詞がある。

 

“夕陽が笑う 君も笑うから 明日を見る”

“甘いしずく 舌で受け止めてつないでいこう”

“夕陽が笑う 君も笑うから 明日を見る”

“勝手に決めた リズムに合わせて歩いていこう”

 

言っていることはネガティブでないのに、曲調も明るいのに、

聴いていて、不思議と涙が出てくる。

 

これこそ、歌詞のエネルギーによるものではないだろうか。

歌モノでは正直歌詞はメロディに勝るとも、僕は思う。

 

音楽と言葉が親密に連携した時の世界観は、あっさりと色彩の虹を越えていく。