廣原暁の映画に”答え”は要らない。

廣原暁監督映画「ポンチョに夜明けの風はらませて」、公開から1週間。

主にネットから得た情報だけれども、たくさんのご好評を頂いているようで、音楽で制作に携わらせて頂いたものとしても、とても嬉しく光栄に思っている。

この映画は、早見和真さんの小説『ポンチョに夜明けの風はらませて』を原作としていて、詳細な部分を含めた物語の流れは監督である廣原さんらによって脚色されている。

高校卒業を間近に控えた男子高校生3人(黒沢清監督曰く、役者が高校生に見えない)が、漠然とした目標を行き当たりばったりに掲げ、途中ひょんな事で出会ったグラビアアイドルと風俗嬢を車に乗せ、免許取立ての主人公・又八の際ど過ぎる運転でずんずんずんと街から街へ、海から海へと突き進んで行く、いわゆるロードムービー。この映画には、”答え”のようなものはない。そして、”終わり”もない、と僕は思っている。

僕は子どもの頃からRPGが好きだったのだけど、クリア寸前でゲームを中断するということがよくあった。理由は、そのゲームがもう終わってしまうのが何となく寂しいから。どんなにこちらがLvアップしようが、伝説の武具一式を揃えようが、ゲームには結局終わりがありエンディングがある。当たり前の話だ。終わりがないと商品として成り立たなくなってしまう。ゲームによって、”Exダンジョン”や”裏面”があるというのは、終わって欲しくないというゲームユーザーの欲に応えた産物なのかもと、今更になって思う。

話が逸れたが、”終わり”がないというのは、作品にとって、とても魅力的な特長なのではないだろうか。もちろん、”答え”や”終わり(ピリオド)”を期待する受け手もきっと多いだろうし、そういう気持ちも十分分かる。敢えて言ってしまうと、映画を見終えた後に”とても明快な何かが得られる”事を期待される人には、正直イマイチに感じてしまう、そんな映画なのかも分からない。若い野郎3人(+1人)と女2人が、当てもなく一心に馬鹿な事をし続ける、それ以上でもそれ以下でもない映画なのだから。そして、90分間、彼らの世界に浸り続けた後に、自分の中で一瞬沸き起こった何かしらの感情・シーン・言葉、etc…、それこそがこの映画が世に提示する最大のものなのかも知れない。

しかし、繰り返すが、この映画には”答え”のようなものはない。映画としてのクライマックスをどう受け止めるのかは、人それぞれだろう。でも、それでいいじゃないか。主題歌である、”忘れらんねえよ”の『明日とかどうでもいい』の歌詞にある「意味とかどうでもいい」なのだ。

ちなみに僕はクライマックスで、涙が、溢れはしなかったけども、出そうになった。観ていて爽快だった。この映画を観終えた後、多くの人が同じように心持ちが軽く、もしかしたら熱く、もしくは穏やかに、なってくれるのではと強く信じている。この機会に、ぜひとも劇場へ足を運んでご覧頂きたい。

 

 

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