キユーピーのCM、ずっと好きだった。

この度、キユーピー深煎りごまドレッシング ピリ辛テイストのラジオCM「ピリ辛一人暮らし」篇(60秒)の音楽を担当させて頂きました。

CM音楽制作は、一番大きく、そして遠い目標だったので、お話を頂いた時は嬉しさの余り、とりあえず奥さんにLINEしてました。ただ、作曲に向けた参考曲は聞かされていた一方で、そのCM内容は一切聞かされていなかったので、こうして女性の声と物語と程良いコラボレーション商品になってくれて、嬉しいのと同時に、安堵致しました。

キユーピーのCMは小学生の頃から気になっていて、特にこのピーターラビットのCMが録画されたビデオテープを、それこそテープが擦り切れてテレビ画面の写りがひどくなるくらい、何度も何度も、繰り返し観ていました。

念願だった初めてのCM音楽の仕事がキユーピーのCM、、ほんと光栄です。

今回制作させて頂いたラジオCM「ピリ辛一人暮らし」篇、おそらく今夏(2018年8月一杯)くらいまでキユーピーホームページで聴けると思います。ぜひ、よろしくお願いします。

さて、次へ向けて動き続けないと。

 

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愛ある反対は有難い。

「あんたなんかに、漫画家のような厳しい世界を生きていけるはずがない」。

今放送しているNHKの連続テレビ小説「半分、青い。」で、漫画家になるために上京したい主人公の”鈴愛”(18歳)に、母である”晴”が言い放った台詞。一昔前の自分なら、こういう台詞はどうも好きになれなかった。なぜなら、その子の未来をその言葉で押し潰してしまうかもしれないからだ。でも今なら、このドラマで描かれたような親心からゆえの”反対”に直面するいうのはとても幸せなことなんじゃないかと思えるのだ。むしろ、世間的に”厳しい”と言われている職業に就くための重要な”必須科目”なのではないかという気さえする。

自分も”フリーランスで音楽家をやりたい”と言って、31歳を目前に会社を辞めた。音大や専門学校でちゃんと勉強してきたわけでもなく、コネクションもほぼ皆無の状態。あまりに無謀過ぎた。このご時世、当然、親を含め色々な人からネガティブな言葉を頂戴した(唯一、妻だけがポジティブな言葉をくれていた)。もちろん、愛のある意見がほとんどだと思う。そういう言葉に何遍もぶち当たり、それでも続けるんだという気力と自信だけは、なぜかあった。例え、順風満帆で目指していた職業になれたとしても、その人に偉大な作品を作れるかは、正直疑問だ。偉大な作品を作った人を見回してみると、みな苦労人だ。苦労人というか、その苦労を何が何でも克服してきた人なのではないだろうか。強い人。音楽家も、きっとそういう部分が自然と日々の中、求められ試される職業なんだと思う。

 

俺はこんなライブがしたいのかも Vol.1

先日、ブログでライブ活動を休んでいる旨を綴らせて頂いたばかりですが…。

ふと、こんなライブなら今でもやってみたいな、と。

前から思っていたんですが、シンガーが一人歌い、お客さんが座って大人しく聴いているスタイル。全く問題ないし、それも素晴らしいライブ形態の一つなのですが、なんか僕自身はそういう”雰囲気”があまり得意でないようなんです。いや、正直な所、むしろ苦手です。もちろん、そういう聴き方をしたい音楽はあるし、僕の音楽を静かにそう聴きたい方もいらっしゃるかも知れませんが、申し訳ないことに僕のはそう聴かれるのがあまり好きでないんです。もちろん、数曲ならまだいいんですが、全体的にそういう雰囲気というのがダメみたい。ごめんなさい。これは僕のわがままですね。

…ということで、例えば歌う場所を固定せずに、数曲歌って場所移動、を繰り返すのとかどうでしょう?もちろん、マイクは使わないで生音で演奏するスタイル。んでもって、近くにいるお客さんを巻き込んでみんなに紹介しちゃうとか。これ面白そうだな〜。半分はトークでもいいくらいなのかも、喋るの好きなので。…音楽は余興となり、歌がいい媒体となって、人の心と心がより交錯する場にしたいのかも知れません。

でも、こういうイベントをやるには、その場所を貸して下さるオーナーさん、もしくは主催の方と、より綿密に企画のやり取りをする必要がある気がします。心底、気持ちを通わせなければ実現は難しいイベント。さて、どうすっかなー。まーゆっくりやってくかな。

とりあえず、今日はここまで。

作曲家、シンガーソングライター。

ライブ活動を最近休んでいます。

その理由をしっかり公表すべきか、たまに悩んでは、正直必要ない、というところにいつも治ってしまうのですが、極稀に「ライブしないんですか?」とおっしゃってくれる方がいて、そういう方の気持ちに真正面からお応えするには、やはり自分がライブをすることについて今どういう思いでいるか、まずはそれをお話しした方が良いのかな、とかつい複雑に考えてしまったりもします。

今は正直、作曲家として生きていきたいと考えています。なぜなら、作曲家としての方がやりたいことが多く、幸せだからです。そういう気持ちが強い故に、第1声で”シンガーソングライターの青木健”と紹介されるのは、今は正直抵抗があるかも知れません。ただ、”もう歌をやめた”というわけでなく、自ずとシンガーソングライターとして活動を発信する”原動力”が今の自分にはないというだけであって、ニーズがあれば臨機応変に可能な形でお応えしたいとは考えています。なので、自分は作曲家なのか、シンガーソングライターなのか、その辺は曖昧のままで今はいいかなと思っています。

このブログでお話しできるのは、ここまでかな〜。

でも、シンガーソングライターとして、それこそ地方のツアーなんかで知り合った方々、本当に素晴らしい方々に出会えたんです。あれは、楽しかった。そんな人たちに再会するために、あなた達のためならば、僕はギター担いで、いつでもどこへでも歌いに行きたい気持ちでいます。

 

『わろてんか』、終わってもうた。。。

『わろてんか』、妻の”(高橋)一世熱”につられ、一緒に観ているうちにいつの間にか自分もドラマの世界に引き込まれてしまっていて、気がつけば、毎日の15分が1日の楽しみだった。

てんを演じる主演の葵わかな、毎回役へののめり込み具合というか、努力というか、そういうところをテレビ画面から感じていて、そこが何とも人間的で温かみがあって、僕は好きだった。朝ドラ主演の仕事なんて苦悩があって当たり前なのだろうけれど、そんな中きっと必死にもがいて、もがいて、もがいて、、、ある女性の一生を、それこそ子どもからお婆ちゃんまで、演じ続ける心意気。”年齢に無理がある”とか、勿論自分でも思っていたのかも知れない。そんな表向きには出せない部分を、逆に彼女色に染めてしまったとでも言おうか。。なんか、うまく言えないのだけど、とにかく俳優という仕事に対する分厚いエネルギーのようなものを、いろいろな回の、いろいろなシーンで感じていた。

重要な脇役を演じ続けた濱田岳の、まるでコンプをかけた音のような、バランス良い雑味のない嫌味のない演技も特に素晴らしかった。彼の涙を流すシーンにどれだけこちらの涙腺を緩められたか。彼の伴侶役を演じ続けた徳永えりも、素晴らしかった。可愛いし。肌がめちゃくちゃ綺麗だし。男としての本能が、大好きだと言っている。…なるほど、半年も毎日ドラマを見続ければドラマ愛のようなものも生まれるわけだ。これが噂の朝ドラ・マジックか。。。

次の『半分、青い。』も楽しみだ。こちらの主演の永野芽衣は、自分が初めてメジャーアーティストへ楽曲提供させてもらった、さくらしめじ「ひだりむね」のMusic Videoにヒロインとして出演している。

彼女も、葵わかなのような天性の直向きさを持った女優さんのような気がする。そして、可愛い。

 

3がつ11にち

震災直後、会津若松に妻と帰省した時のこと。人も活気も全くなかった街の様子は今でも心に寂しく残っている。色で例えるなら、薄灰色の世界。おそらく一生忘れない光景だ。

田原総一朗があるテレビ番組で、「震災は2度目の敗戦」と言っていた。最初の敗戦には世界情勢の中で生じた不可抗力も多少なりともあったとする反面、3.11の事故は日本人自らが作り出してしまった印象が強い。

僕は女優の高峰秀子が大好きなのだけど、彼女が地下鉄サリン事件を知り「日本人はどうして、こうもありえないようなことを起こしてしまうんだろう」とエッセイの中で嘆いていた。彼女の親友でもあった司馬遼太郎も「この国は滅びる」と警鐘した。今の政治情勢といい、戯言にはとても思えない。日本人特有の何かが、日本人自らの首を永い時間をかけて締め続けているのだろうか。

3月11日は、今一度考え直す、見直す、省みる、そんな日にもしたい。

 

もう始まっている。

小室哲哉さんの引退宣言が話題を呼んでいる。

僕は、(好き嫌いは別に)週刊誌を大々的に責めるのもなんか違うかなと思うし、小室さんが色々なご事情を考慮し、ご自身でご決断されたのが今回の引退であり、それ以上でもそれ以下でもない事だと、受け止めたい。

ところで、1959年という年、1950年代を席巻したロック・ミュージシャンが相次いで表舞台から消えた。エルヴィス・プレスリーの徴兵、バディ・ホリーの事故死、チャック・ベリーの逮捕。ロックはもう死んだと、誰もがそのブームの終焉を思った事だろう。しかし、その3年後、ロック・ミュージシャン達に憧れを抱いていたある4人の若者がイギリスでデビューする事となる。それがビートルズである。彼らに呼応するかのように、ロックに影響を受けた多くのバンドが、1950年代のロック旋風以上の大きなうねりを世界に轟かせることになる。

新しい息吹というのはどこかしかで、きっともう始まっている。